2022年8月21日(日)

朝6時半頃に一瞬目が覚めて二度寝。7時頃起床。読書。朝食はバジルチキンカレー。炊飯器がちょうど空になったので久しぶりに「馬拉糕(マーライゴウ)もどき」を作る。「馬拉糕」はマーラーカオの黒糖バージョン。香港の飲茶店で食べて大好きになった食べ物。本来は蒸し器で作るのだけれど、我が家は蒸し器がないので炊飯器で「もどき」をたまに作る。一時期、隙あらばやたらめったら作っていた時期があったのだけど、ここ最近しばらく作っておらず。久しぶりに食べたくなったので作ってみた。おいしい。また香港に食べに行きたい。昼食はハムエッグ、浅漬け、梅干し、納豆ご飯。

午後も読書。「100分de名著:金閣寺」を読み終わる。

三島はやはりあの衝撃的な最期や晩年の思想から右寄りのイメージがかなり強く、それは若いときからそうであったのだと思っていたが、解説の平野啓一郎曰く「金閣寺」は三島にとって「金閣を焼くことは絶対性を滅ぼすことであり、戦前戦中に確かに存在していた天皇という絶対性を、この小説をもって自分の中で否定し、戦後社会を新たに生きていきたい。その決意の作品」なのではないかとのこと。そして作品の最後に、金閣寺を燃やした後の主人公:溝口の心中を「生きようと私は思った。」と書いているように、三島も「何とか戦後社会に適応しようとする中で、そうした戦中の精神的経験を切断し、戦後を生きていこうと決断」したとのこと。そうなるとなぜ三島は晩年右傾化を強め、あのような最期を遂げたのかというのはますます疑問が深まるのだけれど「幼少期から絶えず戦争が身近にあり、二十歳くらいで死ぬと思い込んでいた世代が、突然自由な社会に放り出され、大きなトラウマを抱える」「三島はそんな一人でした。そんな人間が思想的に先鋭化していった」のではないかということ。一度は「生きよう」と思った三島が、そうした社会からの疎外感を拭えないままあのような最期を迎えたというのは、すごく、かなしいなと思った。もっと生きていたらどんな作品を書いていたのか。もっと、読んでみたかったと思う。

三島が感じていたような「社会からの疎外感」を感じている人は、時代が変わり社会の構造が変わった現代でも必ずいて、主人公:溝口が「行動でしか世界は変わらない」と思って金閣寺を燃やしたように、そういう「行動」に出るまで思い詰めてしまう人を、この社会は救えるのだろうかと考える。己には関係ないという無関心や、孤独な可哀想な人間のやることだと嘲笑するその行為一つ一つが、この「社会」を構成する一要素になっていることを決して忘れてはならない。果たして己はそうなってはいないかと、自問する。自問し続ける。