2024年4月15日(月)

朝7時前に起床。4月に入ってからは、7時頃に起床→30分くらいヨガ→7時45分頃から朝ごはんの準備→朝ごはんを食べながら8時から朝ドラを観る、という朝の流れが確立されつつある。ヨガは腰痛&股関節痛がひどくてやり始めたのだけれど、毎日10分、1週間ほどやっただけで効果を感じられるくらい身体が柔らかくなってきたので、今は毎朝30分くらいやるのが習慣になりつつある。以前、ホットヨガのレッスン(60分)に週1回くらい通うというのを4年くらいやっていたことがあるのだけれど、その時よりも目にみえる効果を感じる。やはり少しずつでも「毎日」やるのがポイントなのかもしれない。朝ごはんはサラダとイングリッシュマフィン(ベーコンエッグ、M母特製ゆずジャム)、ぶどう。午前中は読書。『「日本語」の文学が生まれた場所』(黒川創著)を読んでいる。先月の台湾旅行の際に、台南にある「国立台湾文学館」で台湾文学の歴史を振り返っていく展示を見たのだけれど、その中でも日本統治下での「日本語」で書かれた台湾文学、そしてその後、国民党支配になってからの「北京語」で書かれた台湾文学、その両者が移り変わっていく部分や、両者が入り混じっている頃の時代の展示が面白かったので、もう少しじっくりその時代のことを知りたいなぁと思って手に取ってみた本。いやはや、これが面白い。目的としていた台湾文学について触れた部分ももちろんなのだけれど、明治以降の日本文学の歴史、それに伴う日本の思想史、そうしたことにも詳しく触れられていて、初めて知ることが多くて面白い。文学作品単体を読むだけでも面白いけれど、書かれた時代背景や、作家の政治的・思想的立ち位置も知ったうえで作品を読むと、もっとさまざまな視点から読み込めるように思えるので、こういう文学論などを読んだうえで作品を読むという入り方が楽しい。「名著」と呼ばれるものを大して読まずに生きてきてしまったけれど、こういう入口から入って、これからもっといろんな作品を読むことができるなぁというのは日々を過ごす喜びになる。こういう本に出会えるというのは本当にうれしい体験。この著者の黒川さんという方は今回初めて知った方なのだけれど、研究者ではなく作家の方で小説もたくさん書かれているよう。いくつかの作品のあらすじを見てみたら小説のほうもなんだか面白そうだったので、これから読んでみたいと思う。

勉強はもう大学のレポートなどの締め切りにも追われない状況になったので、興味の赴くまま、気の赴くままにやっている。一時的な「目標」がなくなった状態で、自分の意思をどこまで保ち続けられるかなぁということに全く不安がないかというと嘘になるのだけれど、おそらく生が終わるときまでこれをやってるんだろうなとは思っているので、じっくりゆっくり、一歩一歩踏みしめながら、気張らずにやっていこうと思う。

2024年4月1日(月)

久しぶりの日記。気がついたら以前書いてからこんなに間が空いていたとは。3月中旬に半年ほどかけて計画してきた両親との台北旅行を無事に終え、その後はバイトのシフトが連続して入っていたりなどして、やっと読書・勉強などの通常ペースを取り戻しかけてきたところ。今のスタイルの生活に切り替えて2年ほどが経つけれど、もはや自分が「生活」と呼ぶもののベースは読書・勉強・家事と、時々の家で作業する労働にあり、家の外での労働は、非日常とまでは言わなくても、日々の中で特別な扱いになってきている感はある。こんなふうに肩の力を抜いて己の無理のないペースで生きていくこともできるんだなという発見、そしてこういう生き方ができるのは私の特性や価値観を受け入れて肯定してくれるMの存在があってだなと感謝する、そんな2年。

勉強や読書は、相変わらず側から見れば「なぜそのようなお金にもならないことを必死にやっているのか」と不思議に思われるものなのだろうとは分かりつつ、それに反比例して自分の中では「ずっとこれを続けていこう。続けていくのが絶対にいい」と確信を強めてきてもいる。この世界の中の何に価値を見出すかは千差万別、人それぞれの考えがあるとは思うけれど、自分にとっては、身につけた知識や、それらを噛み砕きながら思考して自分なりの考えを育てること。そうしたことが自分という存在への肯定感を強くしてくれると感じている。死ぬ時にこれが正しかったと思えるかなんて当然わからないけれど、それならば少なくともいま自分が本当に信じられることを続けようと、図らずも新年度初日にこれまで何度も何度も思ってきたことを改めて記してみる。

星野博美の「世界は五反田から始まった」を読み終えて、自分の祖父母がどんなふうに生きてきたのかを今更少し知りたくなったりもする。「自分のルーツを知りたい」というよりは、自分の関心が強い20世紀前半の歴史のなかを、己と血のつながりのある人物がどう生きていたのかに興味を持っている。加えて、今回読んだ星野博美の本はタイトル通り「五反田」周辺を題材に取り上げたものだったけれど、自分の故郷である秋田は五反田とは全く「世界」が違っていただろうと想像できる。そうした場所での「戦争」とはどういったものだったのか、そういうことも知ってみたいと思っている。

自分の生を回し続けている原動力は、ほぼ完全に、知りたいという欲望、好奇心であると実感する。そして、これほど強い気持ちを持ち続けられることは、自分なりのいいところでもあるのかもしれないと思える。これからもそれを大事にしながら、また自分なりのペースとスタイルで日々を重ねていこう。悪くない人生だと思う。

2024年2月19日(月)

朝7時過ぎ起床。読書。「自壊する帝国」(佐藤優著)を読んでいる。佐藤優の本は、少年時代の旅の思い出を描いた「十五の夏」や、外務省の研修生時代にロンドンで出会った古書店の店主との出来事を描いた「プラハの憂鬱」など、自身の外国での体験を綴った本が好きで何冊か読んだ。今回の本は外務省の研修でロンドンに行き、その後モスクワに赴任になってからソ連崩壊を目撃するまでのことを書いた作品(だと思う)。まだ序盤までしか読んでいないけれど、鋭い人物観察や、危険な橋を堂々と渡っていくような描写は相変わらずという感じで面白い。朝食は鶏肉大豆昆布の煮物、秋刀魚の蒲焼、納豆ごはん。掃除機をかけて読書。机では引き続き「霧の彼方 須賀敦子」(若松英輔著)を読み進めている。須賀敦子の書く文章と「カトリック」というのは決して切り離せないものだけれど、須賀敦子の文章からは「宗教」の匂いはなんだかあまりしなくて、それよりも「人はどう生きていけばいいのか」、そして「自分が生きていく道はどこにあるのか」ということをひたすらに追求するものであるように感じる。だから「神」という言葉にそれほど親しみを感じない私でも、どこか自分の姿に重なる部分を見出して、惹きつけられてしまうのだと思う。須賀敦子を読んでいると、果たして自分はどうやって、己の思索を深めていけばいいのだろうと考える。アカデミックな指導もろくに受けていない自分が、何かを深く追求していくということがどこまでできるのだろう。もはや自分の求めているものが「学問」という分野にはないとしても、たくさんの書物を読み解いていったりそこに記された著者の思索を掬い取るためには、ある程度の学問的基礎体力がないといけないのではないかとは思う。それを自力でどこまでやっていけるだろうか、と。私の生は、おそらくそれを追い求めて追い求めて、その過程で尽きていくもののようにも思える。そしてそれが、自分にとっての幸福な生なのかもしれないとも思う。

2024年2月12日(月)

明け方目が覚めて時計を見たら4時44分。「ひっ」となりつつラジオを聴きながらうとうと。おそらく5時半過ぎ頃に再び寝落ちて7時過ぎに起きる。朝ごはんはキャベツの出汁煮、鶏手羽元のお酢煮、納豆ごはん。少し読書をするもなんだか頭痛がしんどくて横になる。1時間ほど寝て13時過ぎに起きる。少し寝たらだいぶ回復。お昼はキャベツの出汁煮、目玉焼き、納豆ごはん。

昨日から「霧の彼方 須賀敦子」(若松英輔著)を読み始めてぐいぐい引き込まれる。おととし須賀敦子を初めて読んでからすぐに夢中になってのめり込むようにして全集を全巻読んで、それからしばらくは特に触れていなかったのだけれど「久しぶりに須賀敦子の雰囲気に触れたいなぁ」と思って何気なく手に取ったこの本を読んで、「やっぱり須賀敦子すごい」と思って今再び須賀敦子熱が再燃している。「また読み返したいなぁ」と思ったので、もういっそ全集を全巻まとめて買ってしまおうかというところまで来ている。ひとりの作家にこんなに魅了されてしまうのは、もしかしたら初めての経験かもしれない。これまでも「好きだなぁ」と思った作家の作品を短期間に集中して読むと言う経験はあったけれど、須賀敦子への取りつかれ方はそうしたものの比ではないように思える。なぜこんなにも惹きつけられるのか理由を考えてみると、須賀敦子が自身の文章のなかで、ひとりひたすらに孤独に思索の森に分け入っていくその様が、何か自分に近いもののように感じられるからかもしれない。わたしは須賀敦子と同じカトリック教徒ではないけれど、でっかい山とか砂漠とか荒野とかを思い浮かべたり目の前にした時に、「自分の人生や世界は何か人ならざる大きなものに支えられているのではないか」と感じることはあって、わたしはそれを「神」だとは思わないけれど、そういう感覚が須賀敦子の言う「信仰」に近いように思えるのかもしれない。こりゃ私がもう一度大学に入るなら須賀敦子の研究をするかもなとすら思えるくらい。それくらい、なんだか取りつかれてしまっている。

ちなみに過去に全集を読んだときに特に惹きつけられた言葉をevernoteにメモしておいたよなぁと思って読み返してみようと思ったら、evernoteの挙動が怪しく(というかもはや機能していない)読み返すことすらできず。過去の読書メモとか全部ここに残っているから使い続けたかったけどもうダメそうだな…。

2024年2月9日(金)

朝5時半頃に目が覚める。布団の中でラジオを聴きながらうとうと。6時過ぎに再び寝落ちて8時前に起床。朝ごはんはポトフと納豆ごはん。布団を干してから読書。「大読書日記」(鹿島茂著)をやっと読み終わる。「やっと」と言うと苦行を終えたような感があるけれどそんなことはなくすごく面白くて、ただ、とにかく厚かった。そんなことは本を見た時点でわかっていたけどそれにしても厚かった。700P近くあった。残り3分の1くらいまできて「この勢いで読み終えてしまおう」と思ってからが長かった。でも本当におもしろかったし、読みたい本リストがすごい勢いでまた増えてしまったので、せっせと本を読まねばという気持ちを新たにした。この「大読書日記」のように日々の出来事を織り交ぜて日記形式で書かれている書評は、著者の日常の中にどんなふうに「本」そして「本を読むこと」が存在しているのかを感じられて好き。お昼ごはんは小松菜厚揚げ炒めとハムエッグ、納豆ごはん。食べてから駅前まで散歩。帰宅してからもう1冊読み進めていた「香港陥落」(松浦寿輝著)も読み終える。日本の占領期の前後(1941年〜1946年)、そしてその後1961年の香港を舞台に、中国人、イギリス人、日本人の3人をメインキャラクターにした設定は面白かったけれど、面白かったからこそもうちょっと長編で読みたかった感がある。この3人の出会いとか人間模様とかをもっと丁寧に描いたものを読んでみたかったな〜と思ったりしてしまった。

2024年2月2日(金)

朝5時前に目がさめる。いつもは布団の中でラジオを再生してそれを聞いているうちにまた寝落ちするというパターンなのだけれど、今日は6時過ぎまで眠れず。というわけでえいやっと布団から抜け出して冬にしてはめずらしく早起き。ココアを淹れて読書。引き続き「大読書日記」(鹿島茂著)を読んでいる。こういう本を読み始めると「読みたい本リスト」がすごい速さで増えていく。そしてまた「ああ、こんなことをしていないで本を読まねば!」とうれしい悲鳴をあげるのである。先日読んでいた「韓国文学の中心にあるもの」(斎藤真理子著)は読了。先日の日記にも書いた通り、韓国文学は昨今あまりにも人気があるのでなんだか手を出すタイミングを逃し続けていたし、何から読み始めたら良いかしらなどと思っていたのだけれど、斎藤さんの本を読んで「これを機にわたしも韓国文学読もう!」と気持ちを新たにした次第。そして勢いで隣駅の贔屓の書店に斎藤さんの著書を買いに走るなど。時には衝動に従いたい。今は鹿島さんの著書に加えて「香港陥落」(松浦寿輝著)を読み始めたところ。相変わらず中国香港台湾が舞台の本に目がない。ここに韓国も新たに加わるのだろうか。バイトがしばらく休みになるので年末年始にいまいち不完全燃焼で終わってしまった読書熱を今度こそ存分に燃やしたい。

2024年1月26日(金)

二度寝三度寝を経て9時前に起床。冬は面白いくらい起きられなくなる。朝ごはんは味噌汁、もやし豚肉炒め、納豆ごはん。洗濯をして図書館に行って、その足でスーパーへ買い出し。お昼はスーパーで買ったお惣菜の卯の花と揚げ出し豆腐。少し昼寝して読書。

終わりそうで終わりの見えない大学生活。昨日で本当にこれで最後と思われる悪足掻きを終え、卒業できるかどうかは結局まだ持ち越し。高校・専門学校のときも最後の最後まで卒業単位が足りるか危ういまま、なんとかかんとか卒業してきた自分の学生生活を振り返り、計画の甘さは昔からなんだなと痛感する。旅行とか行く前は心配性ゆえにわりと念入りに調べ物をするタイプのくせして、こういうところは詰めが甘いのはなんなんだろう。

そんなわけで意外とバタバタした日々が完全には落ちつかないままだったのだけど今日からじっくり読書を再開。先週あたりからチビチビ読んでいた「韓国文学の中心にあるもの」(斎藤真理子著)を再び読み始める。韓国文学が描き出す社会や人々の背景にある歴史的な出来事や、そうした出来事の韓国での受け止められ方などを取り上げつつ、代表的な韓国文学を紹介する読書案内という立ち位置の本。韓国文学は近年あまりにも人気がありすぎるのと、「フェミニズム」などといった一言看板によって一過的なムーブメント扱いされているような感じがしていてあまり素直に手に取ってこれなかったのだけれど(ひねくれ者ゆえ)、歴史や社会問題を取り上げた作品は素直に読んでみたいなと思う本が多々あった。こういう入り口から韓国文学に入ってみるのは自分としては合っていそうだなと思うので近々読んでみたいと思う。今日図書館から借りてきた「大読書日記」(鹿島茂著)もまえがきだけ読んでみたけれど面白そうな予感がびしびししている。読書家・愛書家として鹿島さんのお名前は知っていたけれど著書を読むのは初めて。冒頭の「まえがきにかえて」では読書の必要性について

読書は現実生活でなんの役にも立たないと考える人たちの主張を率直に認めることができる。なぜなら、読書などしなくてもたくましく生きていける人々をたくさん知っているからだ。(中略)だから読書しない人々に向かって読書の効能を説いても無駄なことは自明なのだ。

と書きつつ

だが、その一方で、青春時代に読書をする習慣を身につけたことが自分の人生にとって計り知れない効能をもたらしたとはっきりと認めることができる。読書なしの人生と読書ありの人生のどちらを選ぶかと問われたら、躊躇することなく後者を選ぶと答えるだろう。

と述べる。これには激しく同感する。よく「子供を読書好きにするにはどうすればいいのか」と言った子育て記事などを目にすることがあるけれど、そうしたものを目にするたびに「人はそんなに子どもを読書好きにしたいんだなぁ」「読書しなくてもきちんと生きていくことはできるのに」と思う。とか言いつつ自分に子どもがいたらやっぱり読書をさせたいと思うのはまさに上記のような理由になると思う。自分の人生に「読書」があったことが本当によかったと思うからだ。

そして著者は読書の効能は「事後的」(事前に効能を明示できない)と言いながら

読書の効能が事後的である以上、それを事前的に説明することはやめて、「理由は聞かずにとにかく読書しろ」と強制的・制度的に読書に導くこと、これしかないのである。

と締める。自分が小学生の時に「朝読書」という15分程度の読書の時間が強制的に設けられていた記憶があって「あれはなんの意味があったのだろう」と思ったりしていたけれど、つまりは「つべこべ言わずに本を読め」ということだったのかもしれない。そして年齢を重ねてもそれを続けるか否かは、本人が決めることなんだろう。だとしたら「本を読む人生」を選んできた自分に、ちょっとは「グッジョブ」と言ってやりたい。

2024年1月7日(日)

最近は明け方5時前に一度目が覚めて、二度寝して7時過ぎに起きるパターンが多い。麦芽コーヒー豆乳を温めて読書。いま読んでいるのは「街道をゆく22 南蛮のみちⅠ」(司馬遼太郎)と「謎の独立国家ソマリランド」(高野秀行)の2冊。司馬遼太郎は去年の年末に「街道をゆく」シリーズの台湾編を読んで面白かったので他のものも手に取ってみた。高野さんは去年「イラク水滸伝」を読んでから「まだ読んだことない高野さんの本たくさんあるなぁ」と思ったので年末に借りてきたもの。海外旅行が好きなせいか、やはり紀行ものや海外のルポルタージュなどは読む頻度が高め。

3月には台湾に行くことが決まっているのだけれど、今回は台北で私の両親と合流する親子旅行になる。最近はそれに向けての「旅のしおり」作りをせっせとやっている。海外旅行に不慣れな両親へ国際線の乗り方や荷物のルールなどを解説するページも設ける予定。Mとふたりの旅行のときはあまり詳細にプランを立てずに行動することが多いのだけれど、今回はある程度プランも組んで行動する予定なのでその日程表も載せたり。昔からこういうの作るのやけに張り切ってしまうところがある…。母は2度韓国に行っているが父は70歳にして人生初海外。楽しんでほしい。楽しめるようにしたい。

2024年1月2日(火)

新年。年末年始は東京の家でMとふたり、なんら変わりのない日々を過ごす。家で仕事をする私たちは31日の夜まで仕事をし、1日の午前から仕事をする。年が変わろうと変わらなかろうと、明日も今日と変わらない朝がきて、なんら変わりない日々が続いていくだろうという安心感をもって過ごせる日常が、何よりもありがたい。不安な夜、寂しい夜を過ごす人たちが1日も早く、1人でも少なくなることを心から願う年始。

そんな気持ちで年末感の実感が得られぬまま過ごしていたら、年内にやるつもりだった読了本まとめが年をまたいでからになってしまった。

【2023年に読んだ本】

1.この星で生きる理由/佐治晴夫(2023/01/04)
2.バニヤンの木陰で/ヴァディ・ラトナー 市川恵里訳(2023/01/10)
3.海と毒薬/遠藤周作(2023/01/18)
4.アラブ、祈りとしての文学/岡真理(2023/01/21)
5.夕暮れに夜明けの歌を/奈倉有里(2023/01/27)
6.酔どれ列車、モスクワ発ぺトゥシキ行/ヴェネディクト・エロフェーエフ 安岡治子訳(2023/01/30)
7.香港少年燃ゆ/西谷格(2023/02/01)
8.炉辺の風おと/梨木香歩(2023/02/04)
9.文藝別冊 米原万里(2023/02/11)
10.ロシアのなかのソ連/馬場朝子(2023/02/13)
11.文化と抵抗/エドワード・W・サイード(2023/02/25)
12.グレイスレス/鈴木涼美(2023/02/26)
13.転がる香港に苔は生えない/星野博美(2023/03/05)
14.魔女の1ダース/米原万里(2023/03/08)
15.ロシアは今日も荒れ模様/米原万里(2023/03/19)
16.千年の歓喜と悲哀 アイ・ウェイウェイ自伝/艾未未 佐々木紀子訳(2023/03/22)
17.謝々!チャイニーズ/星野博美(2023/04/03)
18.祖国地球/エドガール・モラン(2023/04/06)
19.パレードのシステム/高山羽根子(2023/04/08)
20.「徴用工」とは何か/波多野澄雄(2023/04/16)
21.祖母姫、ロンドンへ行く!/椹野道流(2023/04/21)
22.水よ踊れ/岩井圭也(2023/04/22)
23.根をもつこと(上)/シモーヌ・ヴェイユ(2023/05/09)
24.顔のない遭難者たち 地中海に沈む移民・難民の「尊厳」/クリスティーナ・カッターネオ 栗原俊秀訳(2023/05/12)
25.エルミタージュの緞帳/小林和男(2023/05/19)
26.台湾漫遊鉄道のふたり/楊双子(2023/05/21)
27.惑う星/リチャード・パワーズ 木原善彦訳(2023/05/26)
28.中国のリアル/兪敏浩等(2023/06/02)
29.上海灯蛾/上田早夕里(2023/06/08)
30.無限角形 1001の砂漠の断章/コラム・マッキャン(2023/06/19)
31.コソボ 苦闘する親米国家/木村元彦(2023/06/23)
32.チョンキンマンション 世界の真ん中にあるゲットーの人類学/ゴードン・マシューズ(2023/07/02)
33.源氏物語1/アーサー・ウェイリー(2023/07/04)
34.父ではありませんが 第三者として考える/武田砂鉄(2023/07/05)
35.ヴィオラ母さん/ヤマザキマリ(2023/07/09)
36.白鶴亮翅/多和田葉子(2023/07/15)
37.死体解剖有資格者/スー・ブラック(2023/07/17)
38.ヘーゼルの密書/上田早夕里(2023/07/24)
39.東大生、教育格差を学ぶ/松岡亮二(2023/07/28)
40.人間の土地へ/小松由佳(2023/08/02)
41.堀田善衛を読む/宮崎駿ら(2023/08/05)
42.五色の虹 満州建国大学卒業生たちの戦後/三浦英之(2023/08/22)
43.亡霊の地/陳思宏(2023/08/30)
45.活字三昧/目黒孝二(2023/09/28)
46.証言天安門事件を目撃した日本人たち/六四回顧録編集委員会(2023/10/14)
47.香港 あなたはどこへ向かうのか/阿古智子(2023/10/15)
48.同調圧力:デモクラシーの社会心理学/キャス・サンスティーン(2023/11/01)
49.文にあたる/牟田都子(2023/11/08)
50.不便なコンビニ/キム・ホヨン(2023/11/25)
51.直訳やめたら英語が一気にできるようになった私の話/岩田リョウコ(2023/12/05)
52.街道をゆく10 台湾紀行/司馬遼太郎(2023/12/11)
53.武漢日記 封鎖下60日間の魂の記録/方方 飯塚容・渡辺新一訳(2023/12/25)
 
2022年は合計71冊だったので前年比より冊数自体は減。それでも大学の勉強が忙しかったわりには結構がんばって読んだんだなぁという印象。
 
【印象に残っている本】
・アラブ、祈りとしての文学/岡真理

小説それ自体は現実を変えはしない。しかし、小説を読むことは私たちのなかの何かを、確かに根源的に変える。コンスタンティーヌにせよガザにせよ、行ったこともないそれらの土地が、小説を読むことで変貌を遂げる。私のなかで大切な、かけがえのない存在になる。変貌するのは土地だけではない。土地とともに、その地に住む人々、会ったこともなければ言葉を交わしたこともないそれらの人々が、あたかも旧知の間柄のように、私たちの親しい友人になる。小説を読んだ私たちは想像することができる、彼、そして彼女が私たちの友人であり兄弟であり姉妹として傍らにあるような未来を。小説を読むことで世界と私の関係性が変わるのだ。

私が本を読んだり勉強をしたりする動機は、ここに記されていることと同じであると思った。だからこそ、今も失われ続けている命を思うと、本当に心が痛む。

 

ロシアのなかのソ連/馬場朝子

「兵士たちはなんのために若い命を落とさなくてはならなかったのか」と、いつも同じ問いが頭をよぎった。
 国家にとって最も大切なものは領土なのか、国民の命なのか。祖国のために命を捧げるという美しき世迷い言に惹かれる人がいる限り、世界で戦争はなくならないのだろう。

本当に。本当にその通りだと思った。そしてそれを煽っている外野は誰なのか。自分もその中の1人になっていないか。自問し続ける。

 

・ 転がる香港に苔は生えない/星野博美

自分の中にある香港への思いをより大きくさせた1冊。情報量もスピード感も圧倒的な街からは意外に思えるような、たまらない人間臭さが好きだ。

 

顔のない遭難者たち 地中海に沈む移民・難民の「尊厳」/クリスティーナ・カッターネオ

移民・難民の尊厳を取り戻そうと尽力し続けるイタリアの人々。対して己の国は、と省みてみると情けなさしかない。

 

無限角形 1001の砂漠の断章/コラム・マッキャン

これを読んだからこそ、ガザで繰り広げられる惨状が「遠い国の出来事」とは思えなくなっている。先に引用した岡真里さんの言葉を痛感する。

 

2024年も貪欲に本を読み続けていきたい。そして1冊でも心に残る本に出会えたら、それが生きる喜びになる。自分が信じることをただ直向きに続けていく。今年もそんな1年でいられますように。

2023年12月25日(月)

朝5時頃目が覚める。二度寝して7時半頃起床。

23日(土)は姪と甥の子守りを頼まれていたので義弟宅へ。21時頃に寝かしつけまで終え、22時前に帰宅した義弟夫婦と共に少しだけお酒を飲みながら話す。義弟夫婦とは親族の集まりのなかで会うことはあるものの、ゆっくり話したことは実はほとんどなかったので、短い時間ながら色々と話せて楽しかった。23時前に帰路についたものの、電車の車中でMが体調を崩す。お酒はほぼ飲んでいないので、電車に乗る前のタクシーで車酔いしたか、脂っこい食事が続いた日だったので胃もたれも重なったか。終電が迫っていたけれどどうにもこうにも電車には乗れないほどつらそうだったので、もういっそのことどっかに泊まろうということで急遽都心のビジネスホテルに宿をとる。クリスマスイブ前日の土曜日でビジネスホテルといえどなかなかの料金だったけれど、ホテル自体は清潔で非常に快適だった。翌24日(日)は11時チェックアウトだったので、コンビニで朝ごはんを買ってきて部屋で食べてチェックアウト直前まで休む。Mの体調は万全とは言えないもののかなり良くなったので、せっかくだから少し散歩しつつブラブラしようということに。市ヶ谷から新宿方面に向かって歩いていると、前々からチェックしていたチベット料理店の前をたまたま通りかかる。ちょうど昼時でMの体調も食事できそうなくらいには回復していたので入ってみる。珍しい異国料理というものが大好物なので、初めて出会うチベット料理に興奮。とても優しい味でおいしかった。そのまま新宿まで歩いてから電車に乗って帰宅。予定外の出来事と出費が重なったが楽しかったのでよしとする。

そして今日25日(月)。23日にフィリピンへ旅立つため成田空港に向かっていた義父が、空港に向かう電車内に置き忘れたリュックが発見されたとのことで、急遽某私鉄新宿駅までピックアップしにいくことになる。無事に荷物は受け取ることができ、フィリピン滞在中の義父母に連絡。この数日、その荷物のことをずっと心配していたようなのでよかった。「せっかくここまで来たからご飯でも食べて帰るか」とMが言うのでそのまま新大久保あたりまで足を伸ばす。コリアン界隈は若者たちで溢れかえっていたのでイスラム横丁方面へ。そしてネパール料理を食べる。「昨日はチベット料理を食べ、今日はネパール料理を食べるなんて、これは2024年はネパール・チベット方面へ行けというお告げかもしれない」とMと笑う。予定外のことが続いた3日間だったけれど、なんだかおもしろかった。

そして今日で36歳になった。とても愉快な35歳の締めくくり、36歳のはじまり。チベット料理店でもネパール料理店でもマニ車回してきたからぜったいいい1年になると確信している。