2024年2月12日(月)

明け方目が覚めて時計を見たら4時44分。「ひっ」となりつつラジオを聴きながらうとうと。おそらく5時半過ぎ頃に再び寝落ちて7時過ぎに起きる。朝ごはんはキャベツの出汁煮、鶏手羽元のお酢煮、納豆ごはん。少し読書をするもなんだか頭痛がしんどくて横になる。1時間ほど寝て13時過ぎに起きる。少し寝たらだいぶ回復。お昼はキャベツの出汁煮、目玉焼き、納豆ごはん。

昨日から「霧の彼方 須賀敦子」(若松英輔著)を読み始めてぐいぐい引き込まれる。おととし須賀敦子を初めて読んでからすぐに夢中になってのめり込むようにして全集を全巻読んで、それからしばらくは特に触れていなかったのだけれど「久しぶりに須賀敦子の雰囲気に触れたいなぁ」と思って何気なく手に取ったこの本を読んで、「やっぱり須賀敦子すごい」と思って今再び須賀敦子熱が再燃している。「また読み返したいなぁ」と思ったので、もういっそ全集を全巻まとめて買ってしまおうかというところまで来ている。ひとりの作家にこんなに魅了されてしまうのは、もしかしたら初めての経験かもしれない。これまでも「好きだなぁ」と思った作家の作品を短期間に集中して読むと言う経験はあったけれど、須賀敦子への取りつかれ方はそうしたものの比ではないように思える。なぜこんなにも惹きつけられるのか理由を考えてみると、須賀敦子が自身の文章のなかで、ひとりひたすらに孤独に思索の森に分け入っていくその様が、何か自分に近いもののように感じられるからかもしれない。わたしは須賀敦子と同じカトリック教徒ではないけれど、でっかい山とか砂漠とか荒野とかを思い浮かべたり目の前にした時に、「自分の人生や世界は何か人ならざる大きなものに支えられているのではないか」と感じることはあって、わたしはそれを「神」だとは思わないけれど、そういう感覚が須賀敦子の言う「信仰」に近いように思えるのかもしれない。こりゃ私がもう一度大学に入るなら須賀敦子の研究をするかもなとすら思えるくらい。それくらい、なんだか取りつかれてしまっている。

ちなみに過去に全集を読んだときに特に惹きつけられた言葉をevernoteにメモしておいたよなぁと思って読み返してみようと思ったら、evernoteの挙動が怪しく(というかもはや機能していない)読み返すことすらできず。過去の読書メモとか全部ここに残っているから使い続けたかったけどもうダメそうだな…。