2024年2月19日(月)

朝7時過ぎ起床。読書。「自壊する帝国」(佐藤優著)を読んでいる。佐藤優の本は、少年時代の旅の思い出を描いた「十五の夏」や、外務省の研修生時代にロンドンで出会った古書店の店主との出来事を描いた「プラハの憂鬱」など、自身の外国での体験を綴った本が好きで何冊か読んだ。今回の本は外務省の研修でロンドンに行き、その後モスクワに赴任になってからソ連崩壊を目撃するまでのことを書いた作品(だと思う)。まだ序盤までしか読んでいないけれど、鋭い人物観察や、危険な橋を堂々と渡っていくような描写は相変わらずという感じで面白い。朝食は鶏肉大豆昆布の煮物、秋刀魚の蒲焼、納豆ごはん。掃除機をかけて読書。机では引き続き「霧の彼方 須賀敦子」(若松英輔著)を読み進めている。須賀敦子の書く文章と「カトリック」というのは決して切り離せないものだけれど、須賀敦子の文章からは「宗教」の匂いはなんだかあまりしなくて、それよりも「人はどう生きていけばいいのか」、そして「自分が生きていく道はどこにあるのか」ということをひたすらに追求するものであるように感じる。だから「神」という言葉にそれほど親しみを感じない私でも、どこか自分の姿に重なる部分を見出して、惹きつけられてしまうのだと思う。須賀敦子を読んでいると、果たして自分はどうやって、己の思索を深めていけばいいのだろうと考える。アカデミックな指導もろくに受けていない自分が、何かを深く追求していくということがどこまでできるのだろう。もはや自分の求めているものが「学問」という分野にはないとしても、たくさんの書物を読み解いていったりそこに記された著者の思索を掬い取るためには、ある程度の学問的基礎体力がないといけないのではないかとは思う。それを自力でどこまでやっていけるだろうか、と。私の生は、おそらくそれを追い求めて追い求めて、その過程で尽きていくもののようにも思える。そしてそれが、自分にとっての幸福な生なのかもしれないとも思う。