2024年4月1日(月)

久しぶりの日記。気がついたら以前書いてからこんなに間が空いていたとは。3月中旬に半年ほどかけて計画してきた両親との台北旅行を無事に終え、その後はバイトのシフトが連続して入っていたりなどして、やっと読書・勉強などの通常ペースを取り戻しかけてきたところ。今のスタイルの生活に切り替えて2年ほどが経つけれど、もはや自分が「生活」と呼ぶもののベースは読書・勉強・家事と、時々の家で作業する労働にあり、家の外での労働は、非日常とまでは言わなくても、日々の中で特別な扱いになってきている感はある。こんなふうに肩の力を抜いて己の無理のないペースで生きていくこともできるんだなという発見、そしてこういう生き方ができるのは私の特性や価値観を受け入れて肯定してくれるMの存在があってだなと感謝する、そんな2年。

勉強や読書は、相変わらず側から見れば「なぜそのようなお金にもならないことを必死にやっているのか」と不思議に思われるものなのだろうとは分かりつつ、それに反比例して自分の中では「ずっとこれを続けていこう。続けていくのが絶対にいい」と確信を強めてきてもいる。この世界の中の何に価値を見出すかは千差万別、人それぞれの考えがあるとは思うけれど、自分にとっては、身につけた知識や、それらを噛み砕きながら思考して自分なりの考えを育てること。そうしたことが自分という存在への肯定感を強くしてくれると感じている。死ぬ時にこれが正しかったと思えるかなんて当然わからないけれど、それならば少なくともいま自分が本当に信じられることを続けようと、図らずも新年度初日にこれまで何度も何度も思ってきたことを改めて記してみる。

星野博美の「世界は五反田から始まった」を読み終えて、自分の祖父母がどんなふうに生きてきたのかを今更少し知りたくなったりもする。「自分のルーツを知りたい」というよりは、自分の関心が強い20世紀前半の歴史のなかを、己と血のつながりのある人物がどう生きていたのかに興味を持っている。加えて、今回読んだ星野博美の本はタイトル通り「五反田」周辺を題材に取り上げたものだったけれど、自分の故郷である秋田は五反田とは全く「世界」が違っていただろうと想像できる。そうした場所での「戦争」とはどういったものだったのか、そういうことも知ってみたいと思っている。

自分の生を回し続けている原動力は、ほぼ完全に、知りたいという欲望、好奇心であると実感する。そして、これほど強い気持ちを持ち続けられることは、自分なりのいいところでもあるのかもしれないと思える。これからもそれを大事にしながら、また自分なりのペースとスタイルで日々を重ねていこう。悪くない人生だと思う。