2022年11月12日(土)

ワクチン副反応(接種2日後に油淋鶏はマズかったのか、前回の日記を書いた晩は嘔吐に襲われた)から復活し、今シーズンこそはコートを買うぞと決めていたのでコート探しの旅に出たり家での仕事に追われたり、そしてまたコート探しの旅に出たりバイトしたりしているうちに、気がついたら11月中旬になりかけている。

今朝は6時半すぎに起床。読書。斎藤美奈子の「忖度しません」を読了。書評集を読むと読みたい本がますます増えることに苦悩。でも読みたいと思わせる書評はいい書評。朝食は昨晩の水餃子鍋の残りと納豆ごはん。洗濯。仕事もひと段落したMと、ひたすら本を読んで眠くなったら寝ると言う自由気ままな日を過ごす。ここ1週間あまり息つく暇がなかったからなという言い訳。加藤陽子の「歴史の本棚」を読み始める。これまた読みたい本がどんどん増える書評集で参る。知に豊かな人が推す本はやはり同様に知性に溢れていて、勉強だけに勤しみ知識だけをどんなに身につけても本当にわかることは少ないと思いつつ、それでもやはり少しでも多くの知を身につけてこの世界に対峙してみたいという思いを一層強くさせる。わたしはやっぱり、もっとこの世界を知ってみたい。

お偉いさんたちの失言(という呼称もなんだか軽すぎると思える)にはもう呆れ果てたなと毎回思うのだけれど、今回のは自分自身でも少し驚くくらいに嫌悪を感じたし憤りを覚えた。それは自分が多少なりとも「法」をかじった人間であり、それのもつ力をどこかで信じているからかもしれない。今読んでいる加藤陽子の書評集に「誰のために法は生まれた」(木庭顕著)を取り上げたものがある(ちなみにこの本は私も以前読了していて、加藤同様に著者の包み込むような博識ぶりに興奮したのでうれしかった)。

最も弱い個人に肩入れするものとして「法」が生まれ、権力と利益を巡って蠢き、個人を犠牲にする徒党の解体を体系的に行う仕組みとしての「政治」が誕生する。

「法」や「政治」は、「自然状態」では生き抜けない弱いものを救い上げるために、数千年かけて人間の知が生んだ救済の仕組みであると信じる。それを司る人々はそうした弱者の目線に立ち続けるべきであると思うし、そうして作られたシステムの中で生きる私も、己の想像力を駆使して同じ目線に立てる人間であらねばと思う。そして私はやはり、一人の人間が、同じ「人間」の命を奪う権利を持ち得ると言うこの国の法には真っ向から反対する。

今日はこの後、三鷹の本屋「UNITE」が主催する高野秀行氏のイベントにオンライン参加する予定。そして明日はいよいよゴースカ@横浜。ドキドキ。