2023年5月21日(日)

大型連休明けてスクーリングやら体調崩した方のシフト代替したりやらでバタバタしていた。レポートもたくさん書かねばならないのでガシガシ書いたり、そんなに長く集中力も続かないので読書して息抜きしたり、ちょっと疲れたけど今年の踏ん張りどころと思ってなんとかやっているこの頃。

最近読んだ本では「顔のない遭難者たち」(クリスティーナ・カッターネオ著)が特に印象に残っている。地中海沖で沈んだ難民(正確には難民となる前に亡くなられてしまった)の方々の遺体に対して、法医学を用いて個人を特定するという活動をされているイタリア人の方の本。著者自身はもちろん、イタリアという国が、ヨーロッパを目指して船に乗り込み、そして亡くなられた方々の「顔」を取り戻そうとする活動をしていることを知り、果たして己の国は、と顧みて情けなくなる次第。祖国を追われ、安全に生きるための場所を求めて日本にやってくる方々には、まだそこに「命」がある。この本に描かれる、すでに亡くなってしまった方々とは異なり、手を差し伸べれば、まだ間に合うのだ。それを様々な実現の難しい条件を提示したうえでそれらを満たせなければ強制送還させるというのは、非人道的な行為でしかない。そして、人間が勝手に引いた国境線のこちら側に生まれるかあちら側に生まれるかで生死が左右される、そんな理不尽がこの世に存在していることを痛感する。みんな同じ「人間」ではないのだろうか。

日記にももう何度か書いているけれど、自分が普段の日常を生きているなかで直接目に入ってこない問題や自分が当事者にならないで済む問題なんて山のようにあって、それらを別に見ようとも知ろうともしなくても生きていける。でもそれでも私はできるだけ知りたい、考えたいと思う。それは何か理由や目的があってというわけではなく、そういう生き方をするかそうでない生き方をするかと考えた時に、自分は前者でありたいという、個人としての在り方の選択なのだろうと思う。何かになりたい、何かを得たいとかそういうことではなく、ただそういうふうに生きていたいのだと思う。