2022年10月9日(日)

昨日は早く寝ようと思っていたのにうっかり世界卓球を見始めてしまい0時頃就寝。今朝は7時半に起床。朝食は味噌汁、浅漬け、塩鮭、納豆ごはん(義父特製しそふりかけブレンド)、柿。午前中は勉強。昼食はじゃがいもスープ(インスタント)、鶏肉の野菜炒め、納豆ごはん。なでしこの試合を少し観る。午後は台湾の電鍋「大同電鍋」について少し調べる。うちの炊飯器がコードの接触不良で調子が悪い。Mがひとり暮らしをするときに買ったものをそのまま使っていてかれこれ15年ほどになるのでそろそろ買い替え時かなと思っていたのだけど、以前から気になっていた電鍋を買ってみようかと検討中。実際に使っている方のレビューなどを色々見てみた。Mにも相談してみる。

今後の勉強のことについて相変わらず考えている。自分の勉強したい気持ちのそもそもの始まりに立ち返ってみようとすると、その目的は論文をいくつも書くとか学歴とかではもちろんないし、何かひとつの分野の専門家になりたいというものでもないと気が付く。先人たちが築き上げてきた途方もない量の知のなかから、この世で自分が知りたいと思うことや違和感を抱くことへの答えに近づくためのかけらを探し当ててそれを組み立て、誰かの受け売りではない自分の言葉でそれを表すこと。それを生きている限りやり続けたいと思ったときに、必要なのは多分この先数年果たしてどこに身を置くべきかということよりも、自分はそういうことを死ぬまでやりたいのだという思いをぶれることなく持ち続けていくことのほうなのではないかと感じる。もしかしたらその道中で個別に誰かに教えを乞う必要を感じることがあるのかもしれないけれど、それはあくまで過程であり、目的ではないのだと思う。そのことに気が付いたら少し視界がひらけた気がする。所属や肩書きがなくても、進むことはできると信じる。それは標識を与えてもらったりレールを敷いてもらったりするよりもはるかに険しい道ではあるだろうけれど、もうとっくのむかしに脱輪しているわたしの人生なので、常に自己を恐れずに省みる覚悟があれば、なんとかやっていけると、そう信じてみる。

明日は有給をとるHさんの代わりにバイト。