2022年12月19日(月)

朝7時頃起床。最近は昼寝もしているせいか目が覚める時間が早くなってきた。ココアをいれて読書。「戦争と平和」の第四巻は昨日寝る前の布団のなかで読了。キャラクターは魅力的でストーリーもおもしろかったけれど、トルストイ自身の歴史哲学を語るパートにはあまり面白さを見出せず。でもナターシャとかかわいかったし(外見は想像だけど)トルストイの小説はまた読みたい。朝食は昨晩作ったトマトチーズ鍋の残りとバゲット、コーヒー。今日は朝からずっと読書。「テヘランでロリータを読む」をずっと読んでいた。島田雅彦の「パンとサーカス」も図書館の返却期限が迫ってきているので併読しようと思っているのだけれど、「テヘランで〜」がおもしろくて手がとまらない。

想像力とはすなわち共感の能力のことです。他者の経験の全てを体験することは不可能ですが、フィクションの中でなら、極悪非道な人間の心さえ理解できるのです。いい小説とは人間の複雑さを明らかにし、すべての作中人物が発言できる自由をつくりだすものです。この点で小説は民主的であると言えます(中略)他者の問題や苦痛に気づかないことこそが最大の罪なのです。見ないというのはその存在を否定することです。

無知であることが罪だとは思いたくないし言いたくはないけれど、知ろうともしないこと=見ようともしないというのは、その存在を無視することなのではないかと思うことはある。「知らない」ということは、その人の中にそれは「存在しない」ということなのだ。だからこそ「理解」はできなかったとしても「知ろうとする」ことは必要であると思う。

この本に描かれるイランという国の状況を読んでいると、自分が溢れるほどの書物や音楽や映画に囲まれ、それらを自由に手にとり楽しみ、そして様々なことを自由に考え発言できるということが、どれだけ恵まれた状況であるかということを思い知らされる。「義務」ではないけれど、でもそれらを愛し、そこから何かを感じて考える必要が私たちにはあるのではないかと思う。見たいものだけを見て、聞きたいことだけを聞く。それは世界に対する態度として不誠実なのではないかと思う。「NO」と言われることが許されているならば、「NO」と言う勇気を捨ててはいけないと思う。