2023年2月23日(木)

ベトナムハノイに行ってきた。15日(水)午前中の便で出発、現地時間20日(月)深夜0時頃の便で同日朝に成田着。これまで行った国のどことも似ていない空間でとても楽しかった。これまで訪れたアジアの都市(台北、クアラルンプール、香港)は振り返ってみればやはり「都会」で、「アジア的な空気」は日本と比較すれば濃密だったけれど、ハノイはその比ではないほど濃密で雑多で混沌としていて、でもその反面、なんだかあっさりとした軽やかさを感じる街でもあった。そう感じる理由はなんなのだろうと少し考えてみたけれど、現地の人々がいい意味で、あまりいろんなことを気にせずにいるように思えたからかもしれない。「人の目を気にしない」と言うのとはまた違うのだけれど、何かハプニングが起きてもあっさりしているし、外国人がたくさん歩いていても「ふーん」と言う感じだし、お店に入ってもこちらから声をかけなければ奥の椅子にずーっと座っているし、なんだか何に対してもあっさりしている。まさにハノイの名物、フォーガーのようなあっさりさ。周りが何をしていてもあまり気にしないし、周りからの目もあまり気にしない。ただ目の前の日々を淡々と生きている。その「あっさりさ」が「生きがい」と言う言葉を重視するような国で生きている人間には心地よかったのかもしれない。さらっと、生きている。

現地で日本人旅行者と思われる人を数回見かけたけれど、圧倒的に欧米人と思われる人が多かった。次いで韓国、中国といった印象(余談だけれど、私たちが今回利用したのは「バンブー・エアウェイズ」というなぜかLCC並みに運賃が安いベトナムの航空会社だったのだけれど、乗客の9割9分はベトナム人と思われる人たちで、CAさんも機内で普通にベトナム語で話しかけてきた。これがJALANAベトナム航空あたりになるともう少し日本人が多かったのかも。多分運賃はバンブー〜の5倍くらいかな?)。コロナ禍の中、やはりまだ海外旅行に出かける日本人は多くないのかなと思っていたところ、今朝たまたまCNNのこの記事を見かけた。

www.cnn.co.jp

先ほども書いたように、日本の水際対策が緩和されたのが去年の夏頃?で、まだまだ海外旅行者数がコロナ禍以前まで回復していないのは当然とは思っていたけれど、「海外旅行に関心がない」が30%にものぼり、加えてパスポートの取得率が20%にも満たないというのは驚きだった。記事にいくつか挙げられている要因にはそれぞれ「なるほど」と思うことも多いけれど、「関心がない」と答える人たちにおけるその根本的な理由として個人的にとても大きいと思うのは「きっかけ」であるように思える。そもそも海外旅行に行こうと思う、その「きっかけ」がないのではないかということ。わたし自身、海外旅行は若いときからものすごく好きだったと言うわけではなく、それこそ「国内旅行で十分」と思っていたタイプ。それは「海外に関心がない」と言うより、そもそも「海外旅行に行く」と言う選択肢を考えたことがなかったと言ったほうが近いように思う。わたしの生まれ育った家では家族で海外旅行に行ったことは一度もなく(父と姉はまだ人生で一度も海外旅行に行ったことがなく、母は友人と2回ほど韓国へ、兄は新婚旅行で一度クロアチアに行ったのみ)、海外旅行に行くのは、ごく一部の選ばれし者(と言うと大げさだけれど)だと思っていた。私の人生初の海外旅行は、専門学生時代に研修旅行として学校単位で行ったパリ。けれどそのときも「これが人生で最後の海外旅行だろうな」と思っていた。その後、もともと海外旅行が好きだったMと付き合うようになり誘われて台湾に一緒に旅行をし、それ以来、わたしは海外旅行にハマってしまった。そのMは幼い頃から家族で海外旅行に数回行っており、両親も海外旅行が大好き、そしてMは若い頃に「一回だけはお金を出してやるから、ひとりで海外旅行に行ってこい」と義父に言われて初めてひとり海外旅行を体験し、それが面白くてその後もひとりでアジア・ヨーロッパなど数カ国を旅している。もちろん個人の嗜好の問題もあると思う。何度か海外旅行に行ってもその後も継続して行きたいと思うかどうかは個人差がある。だけど、「経験格差」と言うと言葉が強すぎるかもしれないが、育っていく中でこうして海外旅行を実際に経験する機会があったか否かと言うのは、その後の海外旅行、さらには日本以外の国の国際問題への関心の有無を大きく左右するのではないだろうかと思う。何度も言うけれど、わたし自身が実際にそうだったから。

念の為言うならば、海外旅行に行くことがえらい、国際問題に関心をもつことがえらい、国内・海外問わず旅をすることがえらい、と言いたいわけではない。ただもし、自分に子供がいたらMの父親と同じように「一回くらいは日本以外の国を見てこい」とは言うかもしれないなと思う。それはわたし自身が外国に行くことで視野が拡がり、興味が拡がり、生きることが楽しくなったから。経験をしたうえでその良し悪しを決めるのはもちろん子ども本人だけれど、「まず一回行ってみろ」とは言いたくなるだろうなと思う。

ちなみに個人的にすごく幸運だったと思うのは、Mという旅の同伴者に出会えたことだと思う。Mはとにかく海外で言葉が通じなくても物怖じしない。現地の人に多少めんどくさそうな顔をされてもよっぽど嫌がられない限りは自分の要望を伝えるし、総じてそうした「海外旅行のめんどくささ」を楽しんでいる。わたしはそういうMを見ていて「ああ、海外旅行ってこうやって楽しむものなんだ」というのを教わることができた。学生の時にパリに行ったとき「また行きたい」と強く思わなかったのは、そうした「めんどくささ」だけを大きく感じてしまったからだと思う。だからたとえ一度海外旅行に行ってみても、わたしのように「めんどくささ」ばかりを多く感じてしまい、その気持ちがその後更新されることがなければ、「また海外に行きたい」とは思うことはないのかもしれない。そういう点でも、自分はとてもラッキーなのだと思う。その証拠に、わたしはもう今すぐまた、海外に行きたくて仕方がない。