2023年12月15日(金)

朝6時半に目が覚めて布団のなかでうとうとしながらラジオを聴く。結局8時半頃に布団から出る。朝ごはんはきんぴらごぼう、白菜のそぼろあんかけ煮、目玉焼き、納豆ごはん。午前中はスーパーへ買い出し。午後は家で仕事。伯父さんからきりたんぽ鍋セットが届く。毎年この季節に送ってくださる。週末はきりたんぽだな。

司馬遼太郎の「街道をゆく 台湾紀行」は読み終わり、今は方方の「武漢日記」を読んでいる。阿古智子先生の本で引用されていて興味を持ったので図書館で借りてみた。この「武漢日記」はもともと方方がインターネットに書いていたのだけれど、あっという間に政府に削除されてしまったとのこと。そんな話を聞いていたのでどんな辛辣な政権批判的内容が書かれているのだろうかと思っていたけれど、想像していたほど批判的な内容ではないように思える。これだけのことで政府に削除されてしまうのだろうかと思うと、恐るべし、という感じ。もちろん、方方が著名な作家であり影響力が大きいからという理由もあるだろうけれど。まだ2020年2月の日記の部分までしか読み進められていないけれど、読んでいると、武漢と日本で場所は違えど「ああそうそう、コロナウイルス発生初期の頃ってこんな感じだったよなぁ」と思い出す。すっかりコロナは終わったような体になっているけれど、あの時にどんなにやりきれない死がたくさんあったか、どんなに辛い思いをした人がいたか、それを忘れてはならないと思える。今日読んだこの部分がすごく好きだった。

私の主たる仕事は、小説を書くことだ。以前、小説について話したとき、次のようなことを言った。小説とは落伍者、孤独者、寂しがり屋に、いつも寄り添うものだ。(中略)弱者たちは普通、小説を自己の命の中の灯火、溺れかかったときにすがる小枝、死にかけたときの命の恩人などと捉えている。なぜなら、そんなとき、小説だけが教えてくれるからだ。落伍してもかまわない。(中略)人が生きるのには多くの道がある。成功するのに越したことはないが、成功しなくても悪くはない。

「自己の命の中の灯火」という表現はすごく好きだ。わたしも、暗い道に迷ったときはいつも、好きな本や音楽を灯火のように、そしてあたたかな焚き火のようにして生きてきたような気がする。人生を振り返れば後悔なんて山ほどあるし、決して「成功」の道ではなかったように思える。でも、今までの道中ですばらしい本や音楽に出会えて、そしてそれを大切に守りながら生きてきたことは、間違っていなかったと思える。