2023年12月22日(金)

朝6時半に目が覚める。二度寝して8時頃起床。朝ごはんは味噌汁、白菜と油揚げの煮物、鮭の西京焼、納豆ごはん。午前中は洗濯。お昼頃にスーパーへ買い出し、ついでに図書館。スーパーの売り場はすっかりクリスマスムードに溢れていて、心なしお客さんもいつもより多かったような。年末はかなり混みそう。お昼ごはんはきのこのクリームスープとパン、みかん。少し昼寝して読書。引き続き方方の「武漢日記」を読み進めている。方方は日記のなかでしばしば「政府の対応についてきちんと追及がされるべきだ」と書く。そしてふと、「そういえば日本では政府の対応について何かきちんとした検証がされているのか、もしくはそうしたことを追いかけているジャーナリストはいるのか」と思い、Amazonで関連した本が出ていないか検索してみた(気になることはとにかく書籍を読む性質)。ざーっと見た感じではきちんとした検証がなされまとめられたような本はほぼ無く、検索結果はほぼワクチン批判の本ばかり。これはこのまま特に検証もなされず喉元過ぎればで終わっていくのか、もしくはそうした本が形になるにはもう少し時間がかかるのか。コロナウイルスによって従来の「生活」が奪われた日々のことは思い出したくない人も多いだろうし、肉親を亡くした人々はなおさらにそうだと思う。メンタルケアが必要な人にはいつまでも手を差し伸べるべきだと思う。とはいえ、政策的な面や科学的な面からの検証はそれとは別にやはりなされるべきだと思う。バイト帰りの電車は見るからに忘年会帰りのような人たちが増えていて、すっかりコロナウイルスは終わったかのような体だなぁと感じる。過ぎたことは忘れて楽しいことだけ考えたい気持ちもすごくよくわかる。でも緊急事態への対応が検証されなければいずれ同じようなことが起きたときに絶対に同じことを繰り返す。裏金疑惑ももちろんきっちりと追及されなければいけない大問題だけれど、それによって遡って検証されるべきことが忘れ去られていくのも避けたいと願う。

昨日のバイト帰り、Sさんと駅まで歩きながら年末年始の予定なんかについて雑談。雪の影響で交通機関が麻痺するかもしれないし、何より混むし高いので帰省はしないという話を私がすると、Sさんが一言ぼそっと「さみしっ」と呟いた。あれは実家にも帰らずに東京の家で普段通りに過ごす私への「さみしっ」だったのか、娘が帰省しない年末年始を過ごす私の両親への「さみしっ」だったのかと、ふと帰りの電車で考えてしまった。

2023年12月15日(金)

朝6時半に目が覚めて布団のなかでうとうとしながらラジオを聴く。結局8時半頃に布団から出る。朝ごはんはきんぴらごぼう、白菜のそぼろあんかけ煮、目玉焼き、納豆ごはん。午前中はスーパーへ買い出し。午後は家で仕事。伯父さんからきりたんぽ鍋セットが届く。毎年この季節に送ってくださる。週末はきりたんぽだな。

司馬遼太郎の「街道をゆく 台湾紀行」は読み終わり、今は方方の「武漢日記」を読んでいる。阿古智子先生の本で引用されていて興味を持ったので図書館で借りてみた。この「武漢日記」はもともと方方がインターネットに書いていたのだけれど、あっという間に政府に削除されてしまったとのこと。そんな話を聞いていたのでどんな辛辣な政権批判的内容が書かれているのだろうかと思っていたけれど、想像していたほど批判的な内容ではないように思える。これだけのことで政府に削除されてしまうのだろうかと思うと、恐るべし、という感じ。もちろん、方方が著名な作家であり影響力が大きいからという理由もあるだろうけれど。まだ2020年2月の日記の部分までしか読み進められていないけれど、読んでいると、武漢と日本で場所は違えど「ああそうそう、コロナウイルス発生初期の頃ってこんな感じだったよなぁ」と思い出す。すっかりコロナは終わったような体になっているけれど、あの時にどんなにやりきれない死がたくさんあったか、どんなに辛い思いをした人がいたか、それを忘れてはならないと思える。今日読んだこの部分がすごく好きだった。

私の主たる仕事は、小説を書くことだ。以前、小説について話したとき、次のようなことを言った。小説とは落伍者、孤独者、寂しがり屋に、いつも寄り添うものだ。(中略)弱者たちは普通、小説を自己の命の中の灯火、溺れかかったときにすがる小枝、死にかけたときの命の恩人などと捉えている。なぜなら、そんなとき、小説だけが教えてくれるからだ。落伍してもかまわない。(中略)人が生きるのには多くの道がある。成功するのに越したことはないが、成功しなくても悪くはない。

「自己の命の中の灯火」という表現はすごく好きだ。わたしも、暗い道に迷ったときはいつも、好きな本や音楽を灯火のように、そしてあたたかな焚き火のようにして生きてきたような気がする。人生を振り返れば後悔なんて山ほどあるし、決して「成功」の道ではなかったように思える。でも、今までの道中ですばらしい本や音楽に出会えて、そしてそれを大切に守りながら生きてきたことは、間違っていなかったと思える。

2023年12月10日(日)

朝7時半頃起床。冬になると毎年見事なほどに起きられなくなる。会社に勤めていたときは冬の朝が全く起きられなくて本当につらかった。寒くて布団から出られないというわけでもなく、とにかく眠いというか身体が重いというか。幸い今は朝早く仕事に行かなくてはならないということがなくなったので、なるべく身体のしたいようにさせて寝ている。こうして身体のリズムに素直に従える生活というのは贅沢だなぁと思う。ココアを淹れて読書。しばらく前から司馬遼太郎の「街道をゆく 台湾紀行」を読んでいる。台湾の歴史のことは知っているようで知らないことが多い。来年3月に台湾旅行の予定があるので、その前に少しでも台湾について知っていることを増やせたら旅が豊かになるだろうかと思って手に取ってみた。本のなかで、日本が統治していた時代を生きた人々に会いながら話を聞いていく様を読んでいると、「ああ、確かにここは”日本”とされたんだ」と、改めて実感する。司馬遼太郎自身が書いているように「植民地支配が国家悪の最たるもの」と私も思うから、もちろんそうした歴史を肯定など到底できない。ただ、そこに確かに人と人としての交流もあったし、いち人間としての情をもって台湾の方々に接した日本人もいたのだと思うと、台湾が何かより近い存在のように思えてくる。もちろん、国家の歴史としてあってはならないことであり、それによって一生拭えない傷を負った人がいることも改めて肝に銘じながらも。この「街道をゆく」シリーズは初めて読んだけれど、台湾編がおもしろかったので他のものも読んでみようと思う。勉強が少しずつ落ち着いてきたので、年末年始は本をたくさん読みたい。

2023年12月4日(月)

夏頃の予定では、10月頃には大学の卒業必要単位取得の目処もたってのんびりできるはずだったのに、やはり予定は未定。結局ギリギリまでバタバタしているうえに1科目だけ単位取れなくて卒業できない可能性が濃厚になりつつある漫画みたいな笑える展開(いや、笑えない)。いや、もはや現役学生じゃないし卒業が先延ばしになるのはいいんだが、1科目のために1年分の学費を払いたくない…。ただそれだけ。ひとまず今年度最後の試験が終わったので、あとは残っているスクーリングを受けて天に祈るだけというところまできた。気がつけば12月。結果はどうあれひとまずここまで息絶え絶えになりつつ辿り着いた自分を労おう。少しくらい休憩してもいいかと思いつつ、本を読んだりニュースを見ていると、まだまだ勉強したいことがどんどん出てくるあたり、自分の好奇心や知的欲求はまだ枯渇することはなさそうだと安堵する。物欲もあまりないし地位や名誉にもあまり興味がなく、ただ「知りたい」「行ってみたい」「見てみたい」という欲求が生きる原動力なので大事にしたいと相変わらず思う。とはいえ、肩肘張らずぼちぼちいく。1科目だけのために卒業できなかったとしても、時が過ぎればいい笑い話にでもなるだろう(でもやっぱ学費払いたくない)。

2023年10月15日(日)

朝5時半過ぎ起床。読書。夏からひたすら勉強していて脳が疲労していたのか、今月に入って勉強が少し落ち着いてからもあまり積極的に本に手が伸びない日々だったのだけど、この1週間くらい少しずつ回復してきた。「証言 天安門事件を目撃した日本人たち」と阿古智子著の「香港 あなたはどこへ向かうのか」を読了。読む本はそのときの気分で何となく選ぶことが多いのだけれど、こうして読了した本のタイトルをみてみると自分は東アジアに特に関心があるのかなぁと思ったり。自分の国から距離的にも近くて、歴史的にも接点が多いという理由もあるだろうけれど、何よりやはり、その国が好きなんだろうなぁと思う。もちろん政治的な話とか出し始めると色々と思うことはたくさんあるけれど、文化や人々の雰囲気、街の景観、そして何より、世界のなかで食べ物がダントツに美味しいのはやはり東アジアだろ!と思う(そんな理由)。東アジアが舞台の小説なんかも好きだし、その場所の醸し出す空気が好きなんだろうなぁ。そしてもっと言えばやはりアジアが好きだ。欧米などに比べていい意味で未完成で、それゆえに人間らしいところが大好きだ。まだ両手で足りるくらいの国しか旅したことがないけれど、自分がアジア人であるという自覚とか、「誇り」というと少し大袈裟だけど、そのルーツをアイデンティティとして大事にしようという気持ちは芽生えている気がする。そんなわけでちょっと前からマンダリンの勉強も少し始めた。来年にはすでに台湾に行く予定も決まっているので、それまでに少し話せるようになりたいなぁ。

朝食はキャベツ味噌汁、サラダ、鮭の西京焼き、納豆ごはん。掃除機かけて英語の勉強して来月の香港マカオ旅行の下調べ。昼食は味噌汁、鶏肉のオイスターソース炒め、納豆ごはん、柿。好きな果物のなかで柿が実はかなり上位に入るんじゃないかということに気がついた最近。

読書量が少しずつ回復してくると、こうしてある程度の情報や知識を自分に入れ続けていないと好奇心はどんどん枯渇していくのではないかと考えたりする。本を読んでいると知りたいこと、知らなくてはならないと思うことがどんどん溢れてくるけれど、ボーッとテレビを見てYoutubeを見て過ごしているだけだと、本を読んでいるときに湧いてくる好奇心のようなものはほとんど湧いてこなくて、そして「ああこうしていても生きていけてしまうな」という怖さを感じる。こうしていろんなことに無関心でいてもなんとなく生きていけてしまうし、そういう状態になることは容易なことなのだろうと思う。だからこの歯車をまた少しずつ回し始めないとと実感する。自分はやはり、そういうふうに生きていたいと思うから。

2023年10月6日(金)

少しずつ大学のもろもろの出口が見えてきて時間にも心にもゆとりが出てきたこの頃。M共々、夏はふたり揃ってわりとバタバタとしていてどこにも行けなかったその反動?で、半ば勢いで香港マカオ行きの飛行機をおさえてしまった。その準備にもまたバタバタするなど。でもやはり旅行の準備は楽しい。本もたくさん読みたいと思いつつ脳が休息を求めているのかふと時間が空いてもボーッとしてしまう。自分の自然なペースが戻ってくるのを焦らず待っている。この日記ものんびり続けたいと思っている。

2023年8月24日(木)

8月は勉強している。とにかく勉強している。どこにも遊びに行っていないどころか外食すらしていない(いや、家から1分のすき家には一回行った)。9年前に社労士試験の勉強をしていたときに「人生でこんなに勉強する時期はもう来ないだろう」と思ったけれど、今それと同じくらい勉強している。とにかくそれだけ書き残しておく。

2023年7月25日(火)

気がついたら前回の日記から少し間が空いていた。相変わらず本読んで勉強してたまに出稼ぎ行っての日々。読んだ本のことをどこまで書いたのか忘れたけれど「白鶴亮翅」「死体解剖有資格者」は読み終わって、そのあと上田早夕里の上海三部作のうちの二作目の「ヘーゼルの密書」を昨日読み終わって、今は「人間の土地へ」(小松由佳著)と「東大生、教育格差を学ぶ」を読んでいるところ。小松さんは秋田のご出身だそう。しかも姉と同い年でさらに同じ高校出身。まだ読み始めたばかりなので読み進めるのが楽しみ。上田早夕里の上海三部作は個人的には三作目の「上海灯蛾」が一番好きだったかな。と言いつつ一作目の「破滅の王」を読んだのが数年前なので記憶が曖昧。「破滅の王」もすごく面白かった、という記憶はある。「面白い本」はたくさんあってしょっちゅう出会うけれど、「ものすごく面白い本」はなかなかなくて、「めちゃくちゃ面白い本」は1年に数冊出会えればラッキーといつも思う。だからこそその「めちゃくちゃ面白い本」に出会えた時の喜びは大きい。来週から出稼ぎも夏休みモードになるのでもっとたくさん本読みたい。あとレポート、書かねば…。

田舎の雨の被害がひどい。私の実家の周辺の町には様々に被害が出つつ、実家は幸いにも特に被害はなかったとのこと。ただ、姉がその日に電車で青森へスピッツのライブに行く予定だったのだけど、電車が全て止まってしまい会場に行けず。母が「車で送っていこうか?」と言ってくれたようだけど、危ないからと断ったそう。どちらにしろ道路も通行止になったところが多かったようなので無理だっただろうし、安全第一で考えれば正しい選択だったのだろうと思う。が、やはりかわいそうだった。姉は病院関係者なので、コロナが5類相当になってやっと県外への移動が職場で許可され、コロナ禍前以来の数年ぶりのスピッツライブということですごく楽しみにしていたのでなおさら。ひとまずライブは無事に開催できたようで何よりだなと思いつつ、「次のツアーの時には絶対我が地元に来てくれよな!」と強く願う。

あと、話題のジブリの新作は公開初日に見に行った。ここまで情報が出てないのであれば、もういっそキャストも主題歌も何も知らぬまま、何なら観た人の感想とかも、たとえネタバレしてなかったとしても何も聞かないまま見たい!と思ったので即行ってきた。自分がそんな感じなので感想は書かない。が、これ完全に鈴木さんの「宣伝しないという宣伝」にのせられた感ある。

2023年7月8日(土)

朝5時半起床。暑くなってきたので夜も窓を開け放して寝ていると、朝5時くらいから隣の家のおじいちゃんが大音量でNHKを見始める音が漏れてきて目がさめる。せめて6時くらいまではもう少し小さい音量で見てほしい。読書。前回書いた「源氏物語」を読み終えた後、武田砂鉄著の「父ではありませんが」を1日で読み終えた。私の周りには「子どもはいつ?」「お父さんお母さんにそろそろ孫の顔を見せてあげないとね」などと言ってくる人はいないのでそうした圧には晒されずに済んでいるけれど、子を持つ友人らに囲まれた時など、その場にいる誰が悪いわけでもないのに、自分が「子なし」であることでどこか感じる何かの気まずさというかイマイチ落ち着かない感じというのは、正直、ある。子どもが嫌いなわけではないし、強く「子どもは持ちたくない!」と思っているわけでもない。ただ、子のいる人生といない人生を想像してみたときに、いない人生のほうを生きたいと思ったというただそれだけのことだと思っている。ただそれだけなのだけど、何かちゃんとした理由がないといけないような気が勝手にしている。そう、たぶん自分で勝手に「している」だけなんだけど。と、これは考え始めるとぐるぐるし始めるので、あまり考えないようにしている。「なんとなく」でいいと思っている。武田砂鉄の本は「ふむふむ」「そうそう」などと軽く頷きながら読む。今は「死体解剖有資格者」(スー・ブラック著)と「白鶴亮翅」(多和田葉子著)を読んでいる。

朝ごはんはサラダ、酢鶏、納豆ごはん。午前中は勉強。昼食はラタトゥイユ(出汁を入れた和風アレンジ)、タッパーに微妙に残った酢鶏再び、納豆ごはん。普段の食生活においてさほどバリエーションがなくても苦ではない自分(とM)の性質がありがたい。

最近は大学を卒業した後の独学(って言葉がなんか流行ってるからあれなんだけど)法について考えている。これまでは大学の勉強をベースにしつつ、あとは自分の興味の赴くままにいろんな本をただ読んでるという感じだったのだけれど、これからは学校にも通わずに己のみで勉強していくことになるので、特に専門分野を決めるつもりはなくとも、何かある程度の体系を意識した方がいいのではないかと思って、それをどんなふうにやっていこうかというのを模索している。ひとまず、知識の修得を目的として読んだ本の内容については、カテゴリやタグを付けつつ覚書をストックしたいと思ってメモツールなどを物色。読書記録や引用メモとしてEvernoteをずっと使っているのでそれを継続して使っても良いかと思ったのだけれど、しばらく前からPCとiPhone間の同期がうまくいかなくなって、PCで作ったメモがiPhoneでは見れないという事象が発生していたので、これを機に「Up Note」というのを使い始めてみた。まだ少し触ってみただけだけど、構造がEvernoteに近くて使いやすそう。しばらくはこれを使ってみようと思う。もう1個。調べたこと、これから調べたいことなどをマインドマップ的に繋げて可視化したいと思っている。のでマインドマップ作成に良さそうなツールも色々見ているのだけれどこちらはまだ決めかねている。無料版で使い勝手がいいのがあるといいのだけれど。

2023年7月1日(土)

朝5時前に起床。読書。1時間くらいしたら眠くなるだろうと思っていたのだけれど、予想外に眠気はやってこずそのまま起きていた。今読んでいるのは「チョンキンマンション 世界の真ん中にあるゲットーの人類学」(ゴードン・マシューズ著)。アメリカの人類学者である著者が、チョンキンマンションで行われる商売やそこを行き交う人々がどこから来て何を運びどこへ行くのかなどについて、10年以上をかけて行ったフィールドワークをまとめたもの。以前、星野博美の「転がる香港に苔は生えない」を読んだ時にも思ったけれど、香港という街、そしてそこで暮らす人々はとても「お金」に対して貪欲で、だけどのその貪欲さが逆に生み出す正直さというか素直さというかがあって、なんだか憎めない感じがする。著者が語るチョンキンマンションも、広く行き渡っているであろうイメージの通り、何か怪しいことが行われている形跡は確かにそこかしこにある(形跡というか実際に行われている)のだけど、それぞれが「儲ける」ことに関して正直であり、そこで一致できるなら国籍も宗教も越えた交流も多く存在している。ありとあらゆる文化の人たちが溢れすぎていて、些細な違いなどはもはや気にならなくなる、一種の寛容性があるのかもしれないと思う。2019年に香港に旅行に行ったときは、民主化デモがかなり激しくなっている時期(香港理工大学の占拠などもあった頃)で、香港の中でも特に大陸側の方がデモが激しかったため、安全第一ということで香港島しかほとんど歩き回らなかった。ので大陸側のチョンキンマンションがある尖沙咀(チムサチョイ)の辺りや旺角(モンコック)などにはまだ行ったことがない。チョンキンマンションは様々な国のレストランも数多くあり、最近は治安もかなり良くなってきたようなので、次に香港に行くときは行ってみたい(悲しいかな、民主化デモもすっかり静かになった)。

もう1冊。「源氏物語 A.ウェイリー版」も読んでいる。これは以前、斎藤美奈子氏の書評集を読んだときに知った本。「源氏物語」を英訳したものを、再び和訳したもので、いい意味でツッコミどころが満載で面白い。まず「源氏」は「プリンス・ゲンジ」であり、宮廷は「パレス」。その他「神無月」が「ゴッドレス・マンス」など、読んでいて非常に楽しい。お恥ずかしながら「源氏物語」の原作を読んだことがないのだけれど、斎藤美奈子氏の書評を読んで、ついこの変わり種からその世界に入ってしまった。

歌い終え、舞衣の長い袖を整え直したゲンジは、次の音楽を待ち、いよいよ第二楽章が華やかな音調で始まりました。頬を生き生きと紅潮させ、一心に舞う姿は、まさにゲンジ、ザ・シャイニング・ワン。

いやはや、面白い本って世の中に山ほどあるものですね。ザ・シャイニング・ワン。